現代社会に欠かせない電波による情報通信を
安全かつ効果的に利用するための研究と検証
メディアネットワーク部門 情報通信システム学分野・准教授
博士(工学)日景 隆
プロフィール
1997年、北海道大学 工学部電子工学科 卒業。1999年、同大学 大学院 修士課程修了。同年、同大学院 電子情報工学専攻助手。2004年、同大学院 情報科学研究科助手。2007年、同 助教。2022年、同 准教授。電子情報通信学会,電気学会,日本生体医工学会,IEEE各会員。
電波の安全性をいかに評価するか
国のガイドライン作りにも貢献する研究
─ワイヤレス情報通信研究室ではどのような研究をしているのですか。
日景 私たちの研究室では、高度情報化時代に欠かせない情報通信に使われる電波の伝搬特性や人体への影響などに関する幅広い研究を行っています。主な研究テーマとしては、(1)次世代通信を実現するアンテナ設計、(2)大規模計算機を用いた電波伝搬推定、(3)植込み型医療機器のEMI(電磁干渉)評価技術の3つがあります。(1)のアンテナ設計では、超広域帯MIMO(Multiple Input Multiple Output)などのアンテナ設計について研究しています。MIMOは、すでに第5世代携帯電話サービス(5G)などに採用されている技術で、さらなる高度化を目指したアンテナ設計に取り組んでいます。
私が主に担当しているのは、(2)大規模計算機を用いた電波伝搬推定と(3)植込み型医療機器のEMI(電磁干渉)評価技術です。これらは電波が人体に与える影響や、電波を安全に伝搬させる技術に関する研究です。
私たちの身の回りにはさまざまな電波が飛び交っています。今やオフィスや家庭でも無線LANやWi-Fiを利用し、一人ひとりが自分用の端末を持ち、移動しながら大容量高速通信を行うのが当たり前になっています。そうなると、必ずと言っていいほど電波と人との関係、つまり「安全性」が重要になってきます。
安全性という点では、人体そのものだけでなく、心臓ペースメーカーに代表されるような植込み型医療機器への影響も考えていく必要があります。2000年代初頭、電車やバスの優先席付近では「携帯電話の電源をOFFにする」というルールがありました。携帯電話の電波がペースメーカーを誤動作させる可能性があるとされたためですが、現在はかなり緩和されています。また、航空機内でもスマートフォンやパソコン・タブレット、電子ゲーム機器などの電源を切ることが義務付けられていましたが、2014年に規則が改正され、機内モードをオンにすれば航空機の中で電子機器が利用できるようになり、現在は機内Wi-Fiを利用することも可能になっています。
こうした規制や指針(ガイドライン)については、国内外の多くの研究機関による実験や検証から得られた科学的エビデンスをもとに、所管官庁が制定や緩和を行っています。日本で電波に関する規制等を管轄しているのは総務省で、私も「電波の医療機器等への影響に関する調査の有識者会議」や「電波防護指針の在り方に関する検討作業班」などの構成員としてエビデンスの検討やガイドラインの作成に携わっています。
数値シミュレーションを用いて電波の伝搬特性を検証
─大規模計算機を用いた電波伝搬推定というのはどのような研究ですか。
日景 前述のガイドライン作りにも関連するのですが、航空機や高速車両などの機内・車内で高速・高信頼な無線通信を行うための伝搬特性を考慮した無線回路設計に関する研究です。例えば航空機内は周囲を金属で囲まれた多重反射環境であるため電磁界分布は複雑であることが知られています。こうした環境での伝搬を精度良く評価するため、スーパーコンピュータによりデジタル空間に機内・車内の3Dモデルを作製し、さまざまな数値シミュレーションを行って解析しています(解説1)。
また、5Gに使われている周波数帯域の屋内伝搬の特性に関する研究も行っています。5Gは、オフィスや工場、病院などの施設や特定エリア内で独自のネットワークとして利用することが期待され、企業や自治体等が個別に利用できる「ローカル5G」と呼ばれるサービスも登場しています。その一方で、5Gの周波数帯域は人体による電波の吸収や遮蔽による損失影響が従来の移動体通信や無線LANの周波数帯よりも大きいと考えられています。
私たちは、5G周波数帯における屋内での電波伝搬特性について、人体遮蔽による損失を考慮した評価法の検討を行いました(解説2)。アンテナの設置場所や設備・人員の配置などを検討することで、影響の少ないオフィス設計や情報セキュリティを確保する利用方法の提案などに役立てたいと考えています。
コンピュータの進歩により、実物大の航空機・車両、建物などとほぼ同じものをデジタルで再現することができ、さらに電波という「目に見えないもの」を数値化して可視化することができるようになりました。数値シミュレーションは、電波の振る舞いを正確に把握できるという点において非常に有効な研究手法だと思います。
医療分野への応用に期待
電波に関するリスクコミュニケーションにも取り組む
─医療機器への応用にはどのような可能性があるのでしょうか。
日景 医療分野における電波利用にもさまざまな期待がかけられていますが、電波による人体への影響はその評価が難しく、ガイドライン作りにも多くの課題があります。特に、医療分野では植込み型医療機器の装着者に対する具体的な対策については、今後も継続的な調査・研究が求められています。私たちは、人間の代わりとして用いられる模型や、そのコンピュータモデルなどを使って、医療分野での電波利用における人体への影響や安全性評価を行っています。
さらに、電波によるエネルギー供給の研究も進めています。例えば、心臓ペースメーカーやカプセル内視鏡などは充電式または使い捨てのバッテリーを使用しているため、デバイスの小型化が難しい、あるいは電池寿命による交換が必要といった問題があります。これを解決するため、近年注目されているのが無線によるエネルギー伝送技術(WPT:Wireless Power Transfer)です。機器の駆動に必要な電力を外部から無線により供給することでバッテリー搭載が不要になり、デバイスの小型化が実現すると期待されています。埋め込みが困難とされていた身体部位、例えば頭部に恒常的に埋め込んで使用するような医療デバイスも開発されています。
電波が人体に及ぼす影響は、安全性が十分に確保されていることはもちろんですが、行政・企業・研究機関等が、リスクをどのようにとらえ、どのような科学的エビデンスを積み重ねてきたかを広く理解してもらうことも重要です。リスク分析の全過程において、リスク評価者、リスク管理者、消費者、事業者、研究者、その他の関係者の間で、情報および意見を相互に交換することを「リスクコミュニケーション」と言いますが、私たちの研究室でも本格的に取り組むべきテーマであると考えています。
本研究室は電波全般の研究を行っていますが、その入り口は多種多様で、アンテナ設計、数値シミュレーション、医療応用、リスクコミュニケーションなどさまざまな角度からアプローチできます。電波による情報通信は日常生活に欠かせない技術であり、今後ますます重要度を増す分野です。電波に関する最新技術からデバイス開発、安全で快適な利用に貢献するガイドライン作りまで、日々の暮らしに直結する研究分野ですので、興味のある学生はぜひチャレンジしてほしいと思います。
解説
解説1:スーパーコンピュータを用いた航空機・高速鉄道内における電波伝搬特性推定
航空機や高速鉄道車両のモデルを用いて機内・車内での電界強度分布を解析。干渉経路損失などをシミュレーションすることでより効果的な伝搬モデルを提案する。
解説2:数値シミュレーションを用いた26GHz帯屋内伝搬における人体遮蔽特性推定法についての一検討
5G周波数帯(26GHz)における屋内電波伝搬特性について、FDTD (Finite Difference Time Domain)解析を用いて検討。周囲を金属やコンクリート製の壁などで囲まれ、内部に人体や什器などが存在する屋内環境を想定し、そこでの多重反射波または人体による電波の遮蔽や吸収による損失などの伝搬特性を明らかにする方法として、数値シミュレーションを適用した評価を行った。
